最近、自分の人生計画を作ったほうがいいよというアドバイスを聞き。なんとなく、なんとなく!トントン拍子でスタート地点を与えてもらったけど、25歳もう一度自分を仕切り直そうかなと思う日曜日。ちょうど1年前くらいに私は西脇に来たんだよね。そう思うと本当に早い。早いようで、いろいろあった。でも昨日西脇に来たような心地。
テキスタイルが結局の所、社会に出る第一歩になった入り口だったけど(贅沢な話だ)、私はデザインを学びたかったんだなとおとといくらいに腑に落ちた。あるデザイナーは、デザインというのはカオスの中から秩序を見つけていく作業で、アートというのは既存の秩序を疑って、自分なりの解釈を与えてカオスに戻す作業というようなことを言っていた。その時私は半分納得して、半分納得できなかった。それでは村上隆はどうなのだろうかと。あの人は芸術の分野で成功を収めているけど、製作から経営まで戦略的に物事を考えていながら、アートとして認められている。カオスから秩序を作って、システムを構築することで成功を収めた人だもん。もちろん、中にはそんな戦略的に物事を考えずに、本能的・直感的にやれている人もいるけどね。(そういう人の作るものもすごく好きだし。)それでも、一般の凡人はそれでは食べていけない。プロセスを残していかなければ、何が良かったのか、何を次活かせばいいのかわからないから。積み重ねるには、作り方をデザインするとか、作風をデザインするとか、どこか自分の中の決まりごとを一つ一つ築くという「デザイン」する作業が必要なんではないかと思う。
最近、出会った名古屋の22というギャラリーショップで見た陶器が、あまりにも美しくて。ご飯を乗せたい!と思わせてくれる余白ややさしさがありながらも、作品として完成されているようなものだった。「この人の作品は、お店ではなく、本当はギャラリーのレベルなのよね」と店長が話されていたのが印象的で。その違いってなんだろうって。そのとき聞けばよかったなあ。その人なりの目的に合わせて、デザインされたものだというのがすごくわかるものだった。
今結局書いていて気付いたのは「食べていくための」デザインをしなければいけないということなんだなという。今はまだ、事業も自分も独り立ちして食べていけない。でも、ここで出来なければ一人でもできないだろう。結局、そこなのだ。
どこなのだ?
話が逸れちゃったけど。私今年26。30までに海外に行きたい。そして、ゆくゆくは独立して仕事をできるようになりたい。それは理由なく、本能的におそらく10歳くらいから思っていること。今、いろいろとやらせてもらっていることをどうつなげていくか。どんな意味を見出していくのか。つながりそうで、繋がらない。つながっているはずなんだけど!
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2017年4月3日月曜日
2015年10月9日金曜日
熱気
自分の眼をくもらせているのは自分。
妥協のかたまりみたいなもの作っちゃって、できた気になって、とってもみじめだったと思う。ものづくりに対して、こんなに厳しくいってくれるのも、これから後にも先にも今しかないかもしれない。外に出れば、どんなにダメなものも当たり障りなく受け流されて、また次の出会いにつながらないだけ。
いつまで、次はいつでもあるって思ってるんだろう、わたし。今は今しかないって、もっと毎日危機感もって、やっていかなきゃ。人生後悔しそう。
とりあえず、今年、のこり85日!まあまあがんばったって思えるように、ベストを尽くす!自分のために!(熱気おびてます。
妥協のかたまりみたいなもの作っちゃって、できた気になって、とってもみじめだったと思う。ものづくりに対して、こんなに厳しくいってくれるのも、これから後にも先にも今しかないかもしれない。外に出れば、どんなにダメなものも当たり障りなく受け流されて、また次の出会いにつながらないだけ。
いつまで、次はいつでもあるって思ってるんだろう、わたし。今は今しかないって、もっと毎日危機感もって、やっていかなきゃ。人生後悔しそう。
とりあえず、今年、のこり85日!まあまあがんばったって思えるように、ベストを尽くす!自分のために!(熱気おびてます。
2015年10月1日木曜日
赤ちゃんを産む夢
わたし的に超ショッキングな夢をみた。これまでのなかで一番リアルな出産の夢をみた。
おなかの中に、なぜか三人もいて!最初に、女の子がうまれた。そのあと、時間をほんの少し置いて、小さい男の子が二人でてきた。どっちも産むとき、おなかがめっちゃ痛くて…(夢で痛みってほぼ感じたことないけど、痛かった)、男の子のときは痛いけど眠いし、産むのめんどうくさい!とまで思っていたり。
三人でてきたら、わたしでも母乳でるのかな、と、少しおろおろしながら、でも与えていたわ…このときの感触もなぜか鮮明だわ…!
切なかったのが、産んだ設定だった。どうやら不倫してできた子どもみたいで(とても悲しい。不倫の願望なんてない!)、産んでも親戚におもてでは祝われつつ、大変だね、なんでおろさなかったの、と親もみんなも思っているのを知っていた。
でも、わたしはうまなければいけなかった、ってよくわからん確信があって…なぜかすごい堂々としていた。中途半端に現実の要素もあって、まだ学生で、来春からは就職するのに、いろんなことを棒に振ってるんじゃないのか、とまで言われて超悩む、けど、これが人生でしょ、と開き直る始末で、なんだこれ…となった。
不倫相手も、奥さんと別れて、わたしといると言い出して、奥さんの恨みがましく見られる目をみて「ああ、一生かけてもゆるされない恨みを作ってしまったなあ…」と反省していた。
なんでこうなっちゃったんだろう、ってことを考えながら、大丈夫なのかな、これから…という不安を、親友に電話してみようか、でも呆れられて見放されるのもこわい、という具合であった。
もう、なんざんしょう、感情や痛い感触とか、赤ちゃん抱いたときの重さがすべてがリアルで…。ほんとうにびっくりした夢だった。
おなかの中に、なぜか三人もいて!最初に、女の子がうまれた。そのあと、時間をほんの少し置いて、小さい男の子が二人でてきた。どっちも産むとき、おなかがめっちゃ痛くて…(夢で痛みってほぼ感じたことないけど、痛かった)、男の子のときは痛いけど眠いし、産むのめんどうくさい!とまで思っていたり。
三人でてきたら、わたしでも母乳でるのかな、と、少しおろおろしながら、でも与えていたわ…このときの感触もなぜか鮮明だわ…!
切なかったのが、産んだ設定だった。どうやら不倫してできた子どもみたいで(とても悲しい。不倫の願望なんてない!)、産んでも親戚におもてでは祝われつつ、大変だね、なんでおろさなかったの、と親もみんなも思っているのを知っていた。
でも、わたしはうまなければいけなかった、ってよくわからん確信があって…なぜかすごい堂々としていた。中途半端に現実の要素もあって、まだ学生で、来春からは就職するのに、いろんなことを棒に振ってるんじゃないのか、とまで言われて超悩む、けど、これが人生でしょ、と開き直る始末で、なんだこれ…となった。
不倫相手も、奥さんと別れて、わたしといると言い出して、奥さんの恨みがましく見られる目をみて「ああ、一生かけてもゆるされない恨みを作ってしまったなあ…」と反省していた。
なんでこうなっちゃったんだろう、ってことを考えながら、大丈夫なのかな、これから…という不安を、親友に電話してみようか、でも呆れられて見放されるのもこわい、という具合であった。
もう、なんざんしょう、感情や痛い感触とか、赤ちゃん抱いたときの重さがすべてがリアルで…。ほんとうにびっくりした夢だった。
2015年8月27日木曜日
幸先のよい
なんでかわからないけど、先学期よりひとつひとつの仕事をちゃんとこなせている。人の基準に合わせずに、小さなことでも、自分なりのベストを尽くすようにできている。なので、自分のつくったものをみるように、人の作品もみることができる。やりとりがスムーズで、むりもしないし、心地よい。
自分にとって最善を尽くすことだけで、視界がひろいことにちょっと気づいた。続けたい……。
自分にとって最善を尽くすことだけで、視界がひろいことにちょっと気づいた。続けたい……。
2015年8月18日火曜日
自立
あいかわらず、怠けたい心とちゃんとやりたい意思が毎秒たたかう毎日なんだけど、ふと今朝起きたとき「自分で、自分の視界を曇らせてどうする」っていうことばが頭にぱーんっと浮かんだ。
まあ、近々で自分の生活に思い当たる部分もあったのだけど、それとは別に最近、とある友人をとても怒ってしまったのを思い出して。どこかその人のゆるせなさというのは自分のゆるせなさに通じているんではないかと思っていた。そうでなければ、こんなに憤らないだろうと思っていた。そのくらい失望したし、怒り狂って。でも、これかもしれないとちょっと思った。
その場限りでいいことっていうのに流れを委ねてしまう甘えは、ほんとうの自分の意思というのを薄めてしまうし、結局は時間を浪費している。他人を傷つけているときもある。それが続けば、それだけ自分が何をしたいのかっていうのが見えにくくなる。(それも含めて必要だと言われれば、そうだけど、できるだけそんな時間にしたくない。)それができていなくて、たまたま傷ついた気がしていたので怒っていたけど、根本ではそれが自分にもあったと思う。一時期の誘惑に負けないで、長い目でみて、本当はどうするべきかっていうことを、もっと冷静に判断していたかった。
昨日読んだ、ある人の本で(名前忘れた)「心が手入れされた人はすてきだ」というようなことが書かれていた。自分が尊敬する近しい人たちも、考えてみると、自分と向き合って、手入れしながら過ごしているなと思って共感した。それはつまり自立しているっていうことだとも書かれていた。
それを読んで、わたしはまだ自立できていないんだと思った。経済的にはもちろんだけど、自分で働いて暮らしたからといって、自立できているわけではない。むしろ、養われている年齢や状況ででも、自立している人はいる。そして、そういう人は自信があって、人間として魅力的だとも思う。
わたしもそうありたい。そのためには自分を信じられるための努力をもっとしなければ。
まあ、近々で自分の生活に思い当たる部分もあったのだけど、それとは別に最近、とある友人をとても怒ってしまったのを思い出して。どこかその人のゆるせなさというのは自分のゆるせなさに通じているんではないかと思っていた。そうでなければ、こんなに憤らないだろうと思っていた。そのくらい失望したし、怒り狂って。でも、これかもしれないとちょっと思った。
その場限りでいいことっていうのに流れを委ねてしまう甘えは、ほんとうの自分の意思というのを薄めてしまうし、結局は時間を浪費している。他人を傷つけているときもある。それが続けば、それだけ自分が何をしたいのかっていうのが見えにくくなる。(それも含めて必要だと言われれば、そうだけど、できるだけそんな時間にしたくない。)それができていなくて、たまたま傷ついた気がしていたので怒っていたけど、根本ではそれが自分にもあったと思う。一時期の誘惑に負けないで、長い目でみて、本当はどうするべきかっていうことを、もっと冷静に判断していたかった。
昨日読んだ、ある人の本で(名前忘れた)「心が手入れされた人はすてきだ」というようなことが書かれていた。自分が尊敬する近しい人たちも、考えてみると、自分と向き合って、手入れしながら過ごしているなと思って共感した。それはつまり自立しているっていうことだとも書かれていた。
それを読んで、わたしはまだ自立できていないんだと思った。経済的にはもちろんだけど、自分で働いて暮らしたからといって、自立できているわけではない。むしろ、養われている年齢や状況ででも、自立している人はいる。そして、そういう人は自信があって、人間として魅力的だとも思う。
わたしもそうありたい。そのためには自分を信じられるための努力をもっとしなければ。
指輪
数日前、なにをおもったか、指輪を買った。いつもアクセサリーはほとんどつけないし、あってもピアス。それでも、つけてるのがわからないくらいのものが好きで、同じものをいつもつけていた。
うまくいえないんだけど、なんか自分をまもりたいって思ってとつぜん買いたくなった。マニキュアは、ずぼらなわたしは乾くまで待てないし、数日ではげてしまうので気がすすまないけど、せめて指先を小綺麗にして、指輪をしようと思い立った。
アクセサリーの売り場に「中指は出会いを呼ぶ、薬指は愛の象徴、小指は……」などとジンクスみたいなものが書かれていて、めっちゃまじで読んでしまった。まあ、そこまでにないにせよ、やっぱり飾ることに意味をもとめるのはふつうなんだなってちょっと思った。指先になにかをつけておくというのは、からだのなかとか心を、好まないものから守って、いいものをしっかり選んでくれるようなイメージがふと芽生えたのだよなあ。(最近気づくことは、自分が思ったより女子だということ。)
うまくいえないんだけど、なんか自分をまもりたいって思ってとつぜん買いたくなった。マニキュアは、ずぼらなわたしは乾くまで待てないし、数日ではげてしまうので気がすすまないけど、せめて指先を小綺麗にして、指輪をしようと思い立った。
アクセサリーの売り場に「中指は出会いを呼ぶ、薬指は愛の象徴、小指は……」などとジンクスみたいなものが書かれていて、めっちゃまじで読んでしまった。まあ、そこまでにないにせよ、やっぱり飾ることに意味をもとめるのはふつうなんだなってちょっと思った。指先になにかをつけておくというのは、からだのなかとか心を、好まないものから守って、いいものをしっかり選んでくれるようなイメージがふと芽生えたのだよなあ。(最近気づくことは、自分が思ったより女子だということ。)
朝のリレー
ふと今、小学二年生のときにクラス全員で、詩を朗読したなあってことを思い出した。そのうちのひとつが、谷川俊太郎の「朝のリレー」。
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
(谷川俊太郎「谷川俊太郎詩集 続」思潮社 より)
そのときは、ことばの意味も深く考えようとなんてせず、ただ、おぼえようとしていた。カムチャッカってどこさ、みたいな。
ただ、小さいときに読んだものや聞いたことについて、決してその景色を実際にみたわけではなくても、その当時自分が想像した世界を、なんの迷いもなく一瞬で思い描けるからふしぎだと思う。
外人の男の子がみるであろう、きりんの夢というのも、朝もやのなかでバスを待つ明け方の澄んだ空気とか、ローマの少年のウインクは、日本人がするのとちがって、きっと似合うし上手なんだろうっていうこととか。経度から経度へ、朝をリレーするということばから、そのときの私なりの、世界のひろさを想像していた。
読み手にすべてを託されているからこそ、出会える景色っていうのは、実は絵本とか本の挿絵よりも自分のなかにしっかりとのこっている。八十才になっても、朝のリレーを読めば、おなじ景色を思い出すんだろう。
それってとてもしあわせなことだと思う。ものがたりや詩のもつ力ってそういうのもあるんじゃないのかな。
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
(谷川俊太郎「谷川俊太郎詩集 続」思潮社 より)
そのときは、ことばの意味も深く考えようとなんてせず、ただ、おぼえようとしていた。カムチャッカってどこさ、みたいな。
ただ、小さいときに読んだものや聞いたことについて、決してその景色を実際にみたわけではなくても、その当時自分が想像した世界を、なんの迷いもなく一瞬で思い描けるからふしぎだと思う。
外人の男の子がみるであろう、きりんの夢というのも、朝もやのなかでバスを待つ明け方の澄んだ空気とか、ローマの少年のウインクは、日本人がするのとちがって、きっと似合うし上手なんだろうっていうこととか。経度から経度へ、朝をリレーするということばから、そのときの私なりの、世界のひろさを想像していた。
読み手にすべてを託されているからこそ、出会える景色っていうのは、実は絵本とか本の挿絵よりも自分のなかにしっかりとのこっている。八十才になっても、朝のリレーを読めば、おなじ景色を思い出すんだろう。
それってとてもしあわせなことだと思う。ものがたりや詩のもつ力ってそういうのもあるんじゃないのかな。
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