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2015年8月18日火曜日

自立

あいかわらず、怠けたい心とちゃんとやりたい意思が毎秒たたかう毎日なんだけど、ふと今朝起きたとき「自分で、自分の視界を曇らせてどうする」っていうことばが頭にぱーんっと浮かんだ。

まあ、近々で自分の生活に思い当たる部分もあったのだけど、それとは別に最近、とある友人をとても怒ってしまったのを思い出して。どこかその人のゆるせなさというのは自分のゆるせなさに通じているんではないかと思っていた。そうでなければ、こんなに憤らないだろうと思っていた。そのくらい失望したし、怒り狂って。でも、これかもしれないとちょっと思った。

その場限りでいいことっていうのに流れを委ねてしまう甘えは、ほんとうの自分の意思というのを薄めてしまうし、結局は時間を浪費している。他人を傷つけているときもある。それが続けば、それだけ自分が何をしたいのかっていうのが見えにくくなる。(それも含めて必要だと言われれば、そうだけど、できるだけそんな時間にしたくない。)それができていなくて、たまたま傷ついた気がしていたので怒っていたけど、根本ではそれが自分にもあったと思う。一時期の誘惑に負けないで、長い目でみて、本当はどうするべきかっていうことを、もっと冷静に判断していたかった。

昨日読んだ、ある人の本で(名前忘れた)「心が手入れされた人はすてきだ」というようなことが書かれていた。自分が尊敬する近しい人たちも、考えてみると、自分と向き合って、手入れしながら過ごしているなと思って共感した。それはつまり自立しているっていうことだとも書かれていた。

それを読んで、わたしはまだ自立できていないんだと思った。経済的にはもちろんだけど、自分で働いて暮らしたからといって、自立できているわけではない。むしろ、養われている年齢や状況ででも、自立している人はいる。そして、そういう人は自信があって、人間として魅力的だとも思う。

わたしもそうありたい。そのためには自分を信じられるための努力をもっとしなければ。


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