テキスタイルコンテストに応募する作品、織物にしてもプリントにしても、作りたいものが思い浮かばない。どんな布を、なんのために作るのかわからぬ。絵と同じスパイラルだーーーーーーーー。こういうとき、文章とか音楽とかお笑いとか、からだがあれば少なくとも、なにか作れて、伝えられる手段って無敵だとおもう。
プリントは学生にとってとっつきやすいという点でまずすすめられたけど(それでさえも、学びになると思ってやる気になっていたけど)、もうすでに作られた繊維に、絵柄をたすことは別に、全然おもしろくない……(と帰着してしまった)。民芸をみていて感動するのは、昔の、制限があるなかで最大限のうつくしさのようなものを探求していたときにうまれた模様とかで、デジタル出力できる今、もちろんこれが最大限ではないだろうけど、ただプリントすることのなにがおもしろいのだろう……。デジタルでは表現し得ないものを布地に落とし込める、よねえ。やろうと思えば!でもそれがなんなのだろう
人が生きていくうえで、なぜ装飾をするんだろうっていう疑問から、テキスタイルに興味を持ち始めた気がする。「食」のように生きていくうえで、命にかかわる必然的なものではない。でも少なくとも「衣」というのは人間のからだの仕組みから考えて、必要なもの。今の時代、わたしが生きていくうえでは、かつて人々が祈りのようなものを込めていた装飾の意味合いは薄れて必要なくなったとしても、布地と人はこれからも切り離せないだろうから、今の時代ではどうあれると、人はもっと、ゆたかな心で生きていけるんだろうかって、漠然としてるな!!しかしそんなことを思っていたんだ。
必要とされるものを作りたいって思ってたけど、でもやっぱ、なかなかそんなの見つからないよね。だってまだ学びはじめてそもそも4ヶ月とかだしね。織物だって、思いつくものは大体ある!それに、自分がいい例であるように、人は環境に適応する力がある。だから、防水性があるとか遮光性があるとか、そういう機能だって別に絶対!必要じゃない。なければこちらがちがう工夫をこらす。ものに必然性(これまでそれは機能においてだったかも)を求めていたけど「あったらいいな」っていうくらいのものなら、別になくてもいいって思ってしまう自分の感情とも真逆である。でもまあ、うーん、ささいなことにも工夫をこらす人々の営みってうつくしいよね。わたしがずぼらなだけだ。
思いついては「いらないわ…」ってなったり、まあ、もうすでにあるんですね。それで落ち込んで、じゃあこれはどうだーっていうくり返しでつかれた。で、わかんなくなった!
衣服をまとう(べつに服に限らない)って、その作り手の哲学をまとうことってだれか言ってたけど、そうかもしれないなあ。
とりあえず、あたまより手うごかすか………………………!
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