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2017年4月3日月曜日

人生計画

最近、自分の人生計画を作ったほうがいいよというアドバイスを聞き。なんとなく、なんとなく!トントン拍子でスタート地点を与えてもらったけど、25歳もう一度自分を仕切り直そうかなと思う日曜日。ちょうど1年前くらいに私は西脇に来たんだよね。そう思うと本当に早い。早いようで、いろいろあった。でも昨日西脇に来たような心地。

テキスタイルが結局の所、社会に出る第一歩になった入り口だったけど(贅沢な話だ)、私はデザインを学びたかったんだなとおとといくらいに腑に落ちた。あるデザイナーは、デザインというのはカオスの中から秩序を見つけていく作業で、アートというのは既存の秩序を疑って、自分なりの解釈を与えてカオスに戻す作業というようなことを言っていた。その時私は半分納得して、半分納得できなかった。それでは村上隆はどうなのだろうかと。あの人は芸術の分野で成功を収めているけど、製作から経営まで戦略的に物事を考えていながら、アートとして認められている。カオスから秩序を作って、システムを構築することで成功を収めた人だもん。もちろん、中にはそんな戦略的に物事を考えずに、本能的・直感的にやれている人もいるけどね。(そういう人の作るものもすごく好きだし。)それでも、一般の凡人はそれでは食べていけない。プロセスを残していかなければ、何が良かったのか、何を次活かせばいいのかわからないから。積み重ねるには、作り方をデザインするとか、作風をデザインするとか、どこか自分の中の決まりごとを一つ一つ築くという「デザイン」する作業が必要なんではないかと思う。 

最近、出会った名古屋の22というギャラリーショップで見た陶器が、あまりにも美しくて。ご飯を乗せたい!と思わせてくれる余白ややさしさがありながらも、作品として完成されているようなものだった。「この人の作品は、お店ではなく、本当はギャラリーのレベルなのよね」と店長が話されていたのが印象的で。その違いってなんだろうって。そのとき聞けばよかったなあ。その人なりの目的に合わせて、デザインされたものだというのがすごくわかるものだった。 今結局書いていて気付いたのは「食べていくための」デザインをしなければいけないということなんだなという。今はまだ、事業も自分も独り立ちして食べていけない。でも、ここで出来なければ一人でもできないだろう。結局、そこなのだ。 どこなのだ? 

話が逸れちゃったけど。私今年26。30までに海外に行きたい。そして、ゆくゆくは独立して仕事をできるようになりたい。それは理由なく、本能的におそらく10歳くらいから思っていること。今、いろいろとやらせてもらっていることをどうつなげていくか。どんな意味を見出していくのか。つながりそうで、繋がらない。つながっているはずなんだけど!

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