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2017年7月30日日曜日

夏のプール

夜の温水プール。薄い黄緑色の大きなカーテン。赤いコーン。水色のプール。黄色のレーン。目に入る全ての色が、とても綺麗に見えた昨日の夜のプール。人も空いていて、すごく気持ちよかった。

隣の5レーンくらいは大人向けのスイミング教室だった。「クロールの時に一番大事なのは、水を掻く腕にしっかりと力を入れることです。ここでちゃんと掻けないと前に進みません」

しばらくはクロールしていたけど、途中から誰もレーンにいなくなったので、ゆっくりと泳げるようになった。平泳ぎしたり、背泳ぎしたり、ビート板で泳いでみたり。(平泳ぎは全然進まないし、背泳ぎは、自分の先を泳ぐ人の姿を水の中で見たとき、思っていた以上に足先の動きが間抜けだったので、誰かと同じレーンを使っているときはなんとなく嫌だった。)

昨日ふと、ていねいな平泳ぎをしてみようと思った。

スタートして5mくらい蹴伸びをしたら、手を掻いて、顔を上げる。小さい頃、平泳ぎを教えてもらったとき息継ぎの間に足を動かさないと習った。要は、キックと息継ぎをちゃんと分けて行うことを教わったんだった。これが意外と難しい。キック、息継ぎ、キック、息継ぎ。当たり前だけど、これをいかに正確に、早くできるかが要なのだと昨日気づいた。キックはできるだけしっかりと進むように早く、そして息継ぎもいかに早く顔を上げて、息を吸って、早く水中に顔を戻すか。これを探求しだしてから、多分500mくらい平泳ぎをしていたように思う。でも、やっていくうちにだんだんと、これまでのすごくゆっくりな平泳ぎから、少し、水泳選手が見せる勢いのある平泳ぎに近づけた気がしたのだ。気のせいだとは思うけど。変化を体感できたのが、すごく面白かった。気を緩めると、すぐ元の形に戻ってしまったものの。

小さい頃、水泳教室はすごく好きだった。クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ。いちばん好きなのは背泳ぎだった。理由はとてもシンプルで、背泳ぎのクラスにいた5才くらいのとき、先生が「背泳ぎがすごくうまい。背泳の選手になれよ」と言ってくれたからだ。(私はその言葉を間に受けて、途端に背泳ぎが得意になった。)

教室では、一つずつクラスが上がるとバッチと帽子をもらえた。一番上のクラスは水色で、200mメドレーを設定タイム以内で泳いだらかぶれる色だった。私は水色をかぶらずに教室を終えた。200mを設定タイムで泳ぎ切った日に、水泳はやめようと思ってやめた。

昨日ふと思い出したのは、私はいつもそうなのではないのか、ということだった。あらかじめ、他の人によって設定された目標はすごい熱量で達成しようとする。しかし、全てがかなった途端に、なんか満足してしまうのだった。そして、ちょっと迷子になるのだった。実は今思うと、大学生の時の韓国語もそうだったと思う。

自分で、自分の目標を設定することが苦手なのである。むしろ、今考えると語学であれスポーツであれ、そこが出発地点だった。人に教わる最低限のことを終えただけで、そこからは自分次第なのだ。

仕事でももちろん、同じことが言えるのだと思う。もちろん私の日々の生活だって、誰も目標や課題なんて与えてはくれないのだ。一つ一つの決めたことを、時間を工夫して淡々とこなしていく。気づけば振り返ったら、自分が見たかった景色が広がっているように、大きな目標を明るく、少し上の方に掲げながら。

そんなことを考えた水泳だった。

「クロールで掻く手は、動力なので、できるだけ動かしている状態がいいんです。だから両手が前で揃う時間というのはできるだけないことが理想です。」

隣の水泳教室で言われていたこと、そりゃそうだよね、と聞いていたけど、実際に意識して泳いだら全然いつもより速く泳げた。私のクロールも実はとても未完成だったのだ。

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