終わって帰ったらおそかったんだけど、お父さんの会社の知り合いが家でご飯を食べていた。そのうちの一人がデザイナーさんで、女子美の短大をでた後に多摩美を入り直した方だった。わたしが描いた、見せるのがはずかしいくらいの絵だったけど、それが話すきっかけになって、彼女の職業についてやら、最近思っている疑問とかを親身に話してくれた。
彼女自身も水彩や色鉛筆などをつかったタッチの抽象画が好きで、作る作品の雰囲気が似てるって(作品とかは見られなかったけど)言ってくれた。話をきいていると、やっぱりいつかに純粋な芸術に救われた経験があって、自分もそういうものをつくる作家でいたいようだった。それでいて今は、デザイナーとしてはどんな仕事をしているのか、作家として、デザイナーとしてどういうちがいを見いだしながら(ある意味、線引きをしながら)働いているのかとても丁寧に話してくれた。
その話のなかで、ひとつ「ああそうだなあ」と思ったのは、「作ったもので相手にどう思ってほしいか、感じてほしいか」という核があればそれでいいということ。「これが必要だ」と(それが文脈として時に成り立たなくても)自分の創作を根拠づける心のようなものが絶対に必要だ。大学にいるときでさえ、研究会でもノイズでもいつでも言われてきたこと。そして、ほんとうにそうだと思った。
今日ちょうど、桑久保徹という人のエッセイを読み返していた。「なんで絵をかくの?で、どうすればいいの?現代美術ってどういう解釈すればいいの?お金もらえるの?」っていうすごーいシンプルな疑問をひたすら掘り返して行くっていう内容で、普通の作家が日常の思考のなかで自問自答することを全部文章にしてくれているから青臭くて、自分にぴったりだった。(その本も自費出版なのだ。)大学1年のときに読んだときとは違うところで共感していた。でもそのときもやっぱり、モチーフとなるものは直感で決まっていて(彼の場合は海だった)それを通して見る人にどんなことを感じてほしいかということがみそなんだ、と言っていた。要はそこなんだ。
実際に、彼の絵にはじめて出会った時、絵ももちろんすごくよかったし、多分相性がすごくよくて(全員がそうじゃないと思うから)「おどりたくなった」ではなく「おどった」。絵の前で、それが理由もなく素敵で、じっとしていられずにおどりたくなったのはあれから先にも前にもあのときだけ……!!これは彼なりに大成功なのではないのだろうか(そうなってほしいかは、わからないけど!)本当に感動した。いわゆる巨匠の絵でもなく、写真とか映像とか音楽じゃなく、それでも人がたかだか筆に絵の具をつけてかいた「絵」ってすごい力をひめているんだと思った。
話はもどるけど『美術』に限らずだって『音楽』だって『料理』だって、なにかの行為や生成物でくくると同じジャンルだけど、その中にいる人たちの目的や信念なんて十人十色だ。なんでこんなことに気づかないで、とらわれてこわがってたんだろう。
最近、ああ、こんなことも芸術として認めてくれるんだ、こういうものを作れる人間になりたいっていうものに出会う。写真家の津田直がそうだったり、恵比寿の映像祭でみた白諦っていう中国人作家の『身分』という映画でもそうだ。こういうものを絵でできるんだろうか、と漠然と思った。(今のところびみょうである。けど、韓国の体験記はなにかにまとめたいと思っていたから、身近なものをのこすことで試してみようと思う。)
ようは、世間で知られる分野やジャンルは方法、手段であって、作るものはいつもその人の信念中心にうまれているから、たとえば絵だからって、一貫するわけないんだとやっと腑に落ちた。
高校生のときから、たとえば有名な巨匠は食べて行くことも困難な戦争の時代に、家族も養わなければいけない…などなどな色んな状況のなか「なんで描いてたの/作ってたの」ってことへの興味がつきなかった。時代ごとに、人ごとに違うけど、一方ではまず作るという行為への情熱があったってこと。もうひとつは一人一人なにかとても私的な『信念』があったんだと思った。それをやらなければ生きていけない……ぐらいなものなのかもしれない。時には。だから結局、卒業論文でも(結論がでるまで、主題がわからないという大変な自体だったけど)作り手にとって作品とはどのようなものなのか、アラーキー通して知ったんだなと思う。大学に入ったって、ひとりひとりの創作意欲がどこからくるのか気になり過ぎて、バンドやってる友達やら、名前しかしらないけどとても素敵な絵をかく美大生にアポとって話きいたり、作ることよりもそれを知りたがっていたなあ。自分でもなんで作らないでこんなこと知りたがってばっかなんだろうと思ったけど、いま思えば意味が在ることだったのかもしれないとも思う。何人にきいても、それはとてもパーソナルなもので「○○だから、作ろうとおもう」という方程式ってなかったんだもん。
たしかに、大学生のあいだは、踏み出しから自分自身の選択にもどこか自信がもてきれてなかったし、ぶれまくってた。なんでこんなこと考えてるんだろうねえ…。やっと手を動かすようになったからなのかもしれない。ずっと気になって、たまに考えようかなと思っていたことも見ないふりして放っておいたおかげで、今の勢いがある気がするしね。
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