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2014年4月3日木曜日

叔父さん

今回、3泊4日の韓国では滋賀に住む親戚の叔父さん(以下、日野の叔父さん)のふるさとを尋ねることが大きな目的だった。

日野の叔父さんは9歳まで韓国で住んでいて、それから70年前くらいに日本に来てずっと関西で過ごしてきた。若い頃は多分生活することに必死で、今になっては身体が思うように動かなくなって、というときにうちの父親が声をかけて、うちの家族の里帰りと同じタイミングで一緒に韓国に帰ろうということになったのが今からちょうど一年前だった。

去年初めて、합천(ハプチョン)にある叔父さんのふるさとを尋ねた。住所の名前も時間が経ったからか全く変わっていて、家ひとつも分からない。でも、叔父さんが通っていた小学校が見つかったり、最後のさいごには叔父さんの親戚であろう人と山の道端で偶然会うことができた。

どうもこの人なら、言えば叔父さんの親戚とも繋がれるのでは…と思って名刺をもらって、今年も連絡してまた尋ねた。日本にあった家系図や戸籍のコピーを持ってって照らし合わせると、なんとその(偶然山で出会った)人は日野の叔父さんにとって従兄弟だった(すごく近い…)。「(そんなに近い関係だったんなら)去年の今頃、会った瞬間にもう少し話せば分かったことだろう」と叔父さんは時間が惜しいように癇癪起こしてたけど、一年後の今回だったからこそ、なんとその家系のあたらしいお墓を訪ねることができたんだった。(聞けば一年前に会ったときは、お墓を一カ所に集める工事をするために、数日間ふるさとに帰ってきていただけだったんだと。そのときに会えたことは、巡り合わせとしか思えない。)

せっかく会えたのに叔父さんもいい年齢の方だから怒りっぽいし、どーするよこれ(行く前にすでに疲れた)って正直なってたんだけど。やっぱり近い親族に会ったときの叔父さんの顔とか、あとは叔父さんのお母さんが韓国で暮らしていたという家の跡地に案内してもらったとき「いつ死んでもいい」と言ってもらえたことがとても嬉しかった。


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